アイヌの人々は、河川の流域で食糧や飲み水が得やすく、災害に遭いにくい場所を選んで家を建て、集落を形成しました。家はアイヌ語で「チセ」、集落は「コタン」といいます。コタンは数軒から十数軒のチセで成り立っていました。
チセの大きさは様々ですが、小さいもので約33㎡(10坪程度)、大きなもので100㎡(30坪程度)でした。チセは掘立式で、釘は使用せず、柱などはブドウヅルやコクワのツル、シナ縄などで縛りつけました。屋根や壁を葺く材料には地域差が見られ、その土地で手に入りやすい素材が使われました。カヤやヨシは北海道のほぼ全域で使われましたが、道央部の上川地方ではササ、道東部では木の皮も使われました。材質や住み方にもよりますが、20~30年は住むことができたといわれています。一軒のチセには一家族が住み、結婚すると独立して別の家を建てます。
チセの内部は長方形の一間で、入り口寄りに炉があり、この炉を中心にして主人夫婦、子供たち、客の座る場所に厳格に決められていました。炉で燃えている火は、アペフチカムイ─火の姥神と呼ばれ、人間の日々の生活を見守る重要な神といわれ、儀礼を行うときや狩猟に出かけるときなど、まず最初にこの神に祈りました。また、屋内には、チセコロカムイ─家を守護する神が祀られ、アペフチカムイとともに、家族の日々の生活を見守っています。
炉の先の壁に1ヵ所、その右側の壁1ないし2ヵ所に窓が設けられていますが、前者の窓はロルンプヤラ(ロルンプライ、カムイプヤラともいいます)と呼ばれ、神々が出入りする窓として、普段使われることはありません。床は枯れ草を敷き詰め、その上にカヤやヨシで編んだ敷物を敷き、さらにガマやスゲで編んだござを敷きました。チセの周りには、プ(食糧庫)、アシンル(便所)、クマ(物干し)などの生活に必要な建物や、クマを飼育するヘペレセッ(檻)、イオマンテなどの儀礼を行うヌササン(祭壇)が建てられていました。ヌササンにはイナウ(木幣)が立てられ、特に神聖な場所とされました。
チセを建てる前と後にそれぞれ儀礼が行われます。チセを建てる場所が決まると、チセの中で炉になる位置に火を焚き、神々に対して建築の安全と加護を祈ります。その後約7日間のうちにチセの建て主が不吉な夢を見なければ、その場所が正式に決定されます。不吉な夢を見た場合は場所を変更したり、土地を清めたりしました。
集落の人々総出でチセの建築にとりかかり、完成すると「チセノミ」という新築祝いを行います。チセノミは新しいチセでの生活の安全を祈る儀式で、集落の人々や親族を招いて行われます。
チセノミでは、まず長老が炉に初めて火を入れます。そして「チセコロカムイ」という、家を守護する神をつくり、安置します。参会者全員が神々への祈りを終えると、家主が天井に向けてよもぎでつくった矢を放ちます。家の中の悪霊を払い清めるためです。チセノミが終わると、チセはようやく人が住める場所になります。
コタンは、その初源は血縁集団ですが、徐々に地縁集団ともなり、江戸時代の場所請負制下では強制的に集合させられた集団─強制コタンの発生を見ますが、明治以降、本州からの大量の開拓民の移入により、それまでのコタンのすべてが和人との混住となり、コタンは崩壊しました。