NewsNumber1.「FMピパウシ」
アイヌ語
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日本語
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FMピパウシ カニ(萱野志朗) アナクネ 編成局長 ク・ネ ワ アナウンサー ク・ネ ワ、ホシキノ ク・イェ ヒ エネ オカ ヒ;「イランカラプテー、2001 パ 4 チュプ 8 ト タ、トカプ 11時 オロワ、FM二風谷放送、ポンレヘ「FMピパウシ」 チ・キ オアシ。FMピパウシ アナクネ、萱野茂 ニシパ ホシキノ エヤイコシラムスイパ ヒネ、アイヌイタク エチ・ウタリ オピッタ エチ・ヌ エアシカイ クニネ チ・カラ ペ ネ ルウェ ネ。」セコロ ク・ハウェアン。 FMピパウシ 代表 萱野茂 ニシパ アイヌイタク アニ エネ ハウェアニ;「ヤイクレカラパ。ク・イェ イタク ヌ ロク クニ クタリ ネ ロク、ニシパ ウタラ、カッケマッ ウタラ、オッカイポ ウタラ、メノコポ ウタラ、シネ イキンネ コンカミ ナ。
出典: 『アイヌタイムズ第18号』 |
FMピパウシ 私(萱野志朗)は編成局長であり、アナウンサーであり、最初に次のように言った;「イランカラプテー(編註:挨拶の言葉)、2001年4月8日、午前11時から、FM二風谷放送、愛称「FMピパウシ」を始めます。FMピパウシは、萱野茂が最初に考えて、アイヌ語を皆様がお聞きできるように作りました。」と私は言った。 FMピパウシ代表の萱野茂は、アイヌ語でこのように言った;(編註:以下、萱野茂氏がアイヌ語に続いて表した日本語訳を、そのまま示します) 「私の言葉をお聴きくださる私の仲間である紳士の皆様、淑女の皆様、そして若者たち娘たちご一同にご挨拶を申し上げます。 私・萱野茂は、このピパウシ村(編註:現在の平取町二風谷)で生を受け、父の名前はアレクアイヌ、母の名前ははつめ、という人たちでありました。父方の祖母、その名前をてかって、という祖母でした。幸いなことに日本語を全くしゃべれず、そのおかげでアイヌ語だけで祖母と会話をして成長したものであったけれども、祖母が亡くなった後は、「アイヌ語など、何の役に立つものか」と私は考え、8年間ほどアイヌ語を投げたけれども、日本人から国土を奪われ、生活用具を持っていかれ、その挙句にアイヌ語も霧のように虹のように消え失せかけたその時に、私は金縛りから解かれたように目が覚めてから、アイヌの民具を買ったり作ったりしているうちに、50年近い歳月が流れ去って、博物館と資料館(編註:平取町立二風谷アイヌ文化博物館と萱野茂二風谷アイヌ資料館)、大きな建物2館建ててあるけれども、神が創ったアイヌ語を、しゃべってよかったその言葉が目の前から消えそうになった。 そこで私はエカシ(編註:おじいさん)やフチ(編註:おばあさん)にお願いをして、言葉の髄(ずい)を録音し、私の手元に遺言的に残してある。これほど多い物語を眠らせておけないと私は考え、そのために、お聴きのように私の言う言葉が空を飛んで行くわけだが、このアイヌ語、この言葉は人間だけが聴くのではなく、あなたの周囲の神々と一緒に聴かれ、何らかの方法でアイヌ語が生きた言葉として蘇ることを心から願って、ごく簡単に挨拶の言葉を申し上げます。ありがとうございました。」
出典: 『アイヌタイムズ第18号日本語版(季刊)』 |
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